低AMHと診断された私が、不妊治療を経て自然妊娠するまで

海辺に座り、海を見つめる女性の後ろ姿

妊活を始めて、私は初めて「AMH」という言葉を知りました。
AMHは、卵巣予備能——卵巣にどのくらい卵子が残っているかの目安——を知るために使われるホルモンです。

検査の結果を聞いたとき、頭が真っ白になりました。
自分の年齢の平均と比べて、かなり低い数値だったからです。

病院からの帰り道、私は泣きながら夫に電話をしました。

そこから、タイミング法、人工授精、顕微授精とステップアップしていきました。
途中で、化学流産も経験しました。

そして、次の採卵に向けて治療を休んでいた周期に、思いがけず自然妊娠しました。

低AMHだと言われたあの日の私には、想像もできなかったことです。

この記事では、低AMHという数値を知った日の絶望から、不妊治療と向き合い、妊娠に至るまでの経過と、そのときどきの気持ちを、私自身の体験として綴ります。

当時の私と同じように、「AMHが低い」と告げられ、不安でいっぱいになっている方に。
私の体験から、何かひとつでも届いたら嬉しいです。

目次

私が結婚したのは、2019年の3月。32歳のときでした。

年齢のこともあり、結婚したらすぐに子どもが欲しいと思っていました。
身近に不妊治療を経験した方が何人かいて、授かるまでに時間がかかることもあると知っていたことも、早めに受診しようと思った理由のひとつです。

だから、長く待ちすぎないようにしよう——そう考えていました。
半年から1年ほど自分たちで妊活をして、それでも授からなければ病院へ行こう。夫とも、そう決めていました。

そして結婚から約1年後、33歳のときに、初めて不妊治療を専門とするクリニックを受診しました。

最初は、「まずは排卵のタイミングを見てもらおう」くらいの気持ちでした。
当時の私はフルタイムで働いていたため、仕事の日でも通えること、自宅から通いやすいことを条件に、その中でも評判のよいクリニックを選びました。

それまでブライダルチェックのようなものを受けたことがなかったので、まずは一通り検査をして、その結果を見ながら今後の方針を決めていくことになりました。

AMHの検査も、その中のひとつでした。
別の日には、子宮卵管造影検査も受けました。夫も一緒に検査を受けることになりました。

そのときの私は、まさかAMHの検査結果を聞いて、頭が真っ白になるとは思っていませんでした。

一通りの検査を終え、結果を聞く日が来ました。
私は、まさか自分に何か問題が見つかるとは思っていませんでした。

けれど、告げられた数値は——AMH1.79。

33歳の平均と比べて、半分以下の低い数値だと説明されました。

頭の中が、真っ白になりました。
当時、先生からは、こんな説明を受けました。

AMHが2.0を下回ってくると、採卵が難しくなることもあること。

ただし、AMHが低いからといって、妊娠の可能性が低いということではないこと。

そうではなく、妊娠を目指せる期間が限られていると考え、早めに治療を進めたほうがよいということでした。

説明は、ちゃんと聞いていたはずです。
けれど、そのときの私の頭に残っていたのは、

「平均よりも低い。しかも、半分以下」

という言葉だけでした。

赤ちゃんができないかもしれない。

子どもが大好きな夫に、申し訳ない。

そんな思いで、いっぱいになりました。

病院を出たあと、私は夫に電話をしました。
泣きながら話し、そのまま家まで歩いて帰りました。
普段なら電車で10分の道のりを、1時間かけて歩いて帰ったことを、今でも覚えています。

夫は、私の言葉を静かに聞いてくれました。
そして、こう言ってくれたのです。

「まだ、子どもができないと決まったわけじゃない。周りにも、不妊治療で子どもを授かった人はたくさんいるから、きっと大丈夫だよ」

私の不安を否定するでも、慌てるでもなく。ただ静かに、そう言ってくれました。

あの日は、私たちが不妊治療に本気で向き合い始めた日でもありました。

家に帰ってからも、ショックは続きました。
思いきり落ち込みました。

けれど、落ち込んでいたのは、2日くらいだったと思います。
意外と立ち直りは早かったのかもしれません。
というのも、いろいろと調べていくうちに、こんなことを知ったからです。

低AMHと診断されても、妊娠・出産した方がいること。

AMHの数値だけで、妊娠できるかどうかが決まるわけではないこと。

それを知ったとき、思ったのです。
まだ、やれることはあるんじゃないか。
やれることがあるのに、何もしないまま時間が過ぎていくほうが、もったいない。
そう思うようになってから、気持ちが少しずつ動き始めました。

卵子の数は、今から増やすことはできない。

でも、質は今からでも変えられるかもしれない。

だったら、質で勝負しよう。

そう思うことで、私はもう一度、前を向くことができました。

そして、今の自分にできることはやってみようと決めました。
アトピー改善のために続けていた食事や生活の見直しにも、それまで以上に力を入れるようになりました。

検査結果を受けて、まずはタイミング法から始めました。
通院して排卵の時期を診てもらい、先生に指示された日にタイミングを取る、という方法です。
けれど、タイミング法を試したのは1周期だけでした。

そこからすぐに人工授精へ進み、同じクリニックで2回受けました。
早めにステップアップを選んだのには、理由がありました。

私が低AMHだったこと。

検査を受ける中で、医師からピックアップ障害の疑いもあると説明されたこと。

そして、夫の検査では、精子の運動率が低いことも分かっていました。

これらの結果から、自然妊娠は難しいかもしれないと説明されていたのです。

だから、早めに次へ進もう。
私も夫も、そこに迷いはありませんでした。

ここで、ひとつお伝えしたいことがあります。

不妊は、女性だけの問題だと思われることがあるかもしれません。
けれど、男性側の要因が関係している場合もあります。

そして、どちらかが悪いという話でもありません。
夫婦で気持ちや情報を共有し、二人で向き合っていくことが大切なのだと感じました。

とはいえ、治療が進むほど、通院や検査、処置など、女性側にかかる負担が大きくなりやすいとも感じました。
通院だけでも、本当に大変です。

わが家では、夫が行ける日は一緒に通院していました。
夫は私の気持ちを尊重し、ステップアップするときも、病院を変えるときも、前向きに一緒に考えてくれました。

もちろん、いつも同じ温度でいられたわけではありません。
それでも、治療について話し合い、二人で決めながら進められたことは、私にとって大きな支えでした。

人工授精は2回までと決めていた私たちは、次の治療へ進むため、転院を考え始めました。

人工授精は2回まで。

それが、あらかじめ夫婦で決めていたことでした。

もともと通っていたクリニックは、「まずは排卵のタイミングを見てもらおう」という気持ちで選んだ場所です。
体外受精や顕微授精まで想定して選んだわけではありませんでした。

当時は、まだ不妊治療が広く保険適用される前でした。
助成制度はありましたが、治療費の多くを自分たちで負担する必要がありました。

同じように高いお金をかけるのなら、自分たちが納得できる病院で治療を受けたい。
そう思うようになりました。

そこで、人工授精を受けている間から、次の病院について調べ始めました。
公開されていた治療実績や受精率、そして、どのような方針で治療をしているのか。

新しく選んだ病院が掲げていたのは、排卵誘発剤をできるだけ使わず、女性がもともと持っている排卵のリズムに合わせて治療を進めるという方針でした。
身体への負担を抑えながら、よりよい卵子や胚を育てることを目指している。
そうした治療方針を知り、ここにお願いしたいと思いました。

ただ、通うのは決して楽ではありませんでした。
自宅からは、電車で1時間ほど。
仕事のある日は、朝5時台に家を出ることもありました。

それでも、朝早くから受診できること、365日診てもらえる体制があることは、働きながら治療を続ける私にとって、本当にありがたいことでした。

「通いやすさ」で選んだ最初の病院から、「治療を任せたいと思えるか」で選ぶ病院へ。

自分の中でも、覚悟が一段深くなっていたのだと思います。

転院してからは、改めて一通りの検査を受けることになりました。
そこで、私には風疹の抗体がないことが分かりました。

ワクチンを接種したあとは、2か月間、妊娠を避ける必要がありました。
そのため、治療を進めることができず、さらに2か月待つことになりました。

早く進みたいのに、進めない。

この2か月は、本当にもどかしい時間でした。
ようやく採卵の日を迎えたのは、転院してから3か月ほど経った頃だったと思います。

採卵は無麻酔でした。
少し痛みはありましたが、私の場合は我慢できるくらいのものでした。

採れた卵子は、2個。

夫の精子の状態も踏まえ、受精方法は顕微授精になりました。

そのうち、受精したのは1個でした。

そして、初めての移植の日を迎えました。
移植の日には、験担ぎで渡り蟹のトマトクリームパスタを食べに行きました。
当時、インスタで「移植の日に渡り蟹のパスタを食べるとうまくいく」というジンクスを見かけたのです。

少しでも縁起を担ぎたい。
そんな気持ちでした。

けれど、結果はかすりもせず。

陰性でした。

ステップアップすれば、すぐに授かれるのではないか。

どこかで、そんな淡い期待を抱いていたのだと思います。
けれど、現実はそう甘くありませんでした。

そして、また採卵からのスタートです。



そんななか、病院の近くには鬼子母神があり、通院のたびに立ち寄って、いつもお参りをしていました。

満開の桜と、通院のたびにお参りしていた鬼子母神

2回目の採卵では、卵子が1つ採れました。
その1つが受精してくれて、再び移植の日を迎えることができました。

今回は、験担ぎはしませんでした。
大好きなカレーを食べて、とにかくリラックスして過ごそう。
そう決めていました。

そして、判定日。
妊娠判定に使われるhCGの反応は出ていました。
けれど、数値が低いため、数日後にもう一度来てくださいと言われました。

反応が出た。

私の身体でも、妊娠できたんだ。

そう思うと、嬉しかったです。

でも同時に、「数値が低い」という言葉が頭から離れませんでした。
スマホで何度も検索しました。

同じような数値だった人はいないか。そのあと、どうなったのか。
調べても、答えは出ません。
それでも、調べずにはいられませんでした。

そして数日後、お腹が痛くなり、出血が始まりました。

生理が来たのか、それとも別の出血なのか。

不安でいっぱいになりました。
その後、妊娠は継続せず、化学流産となりました。

とても悲しく、しばらくは落ち込んでいました。
けれど、あるとき、ふと思ったのです。

移植のとき、私は心の中で、

「しがみついててね」

と、卵ちゃんにお願いしていました。

——だから、あの子は本当にしがみついて、着床してくれたんだ。

そう思えたとき、気持ちが少し変わりました。

頑張ってくれて、ありがとう。

今は、そう思えるようになりました。

赤ちゃんを授かることも、無事に元気に生まれてきてくれることも本当に奇跡。
決して当たり前のことではないのだと、身をもって感じました。

化学流産のあと、なかなか気持ちは上向きませんでした。
妊活をしていた私は、いつの間にか検索魔になっていました。

同じ状況の人はいないか。どうすれば、うまくいくのか。
答えを探しては、また不安になる。
その繰り返しでした。

頑張っているつもりでも、結果は出ません。

まわりが前へ進んでいくのに、自分だけが止まっているような気持ちになって、焦ったり、悲しくなったり。

そのうち、頑張り方がわからなくなっていきました。
何を、どう頑張ればいいのか。

モチベーションも、うまく保てなくなっていました。

少ししんどくなってきたので、私は一度、立ち止まることにしました。

スマホに触れる時間を減らして、家族と過ごす時間を増やす。

好きなものを食べて、のんびり過ごす。

そんなふうに、しばらくは自分の心を休ませるようにしていました。

検索を繰り返し、頑張り方がわからなくなっていた頃の気持ちと、一度立ち止まって私がしたことは、こちらの記事に詳しくまとめています。

治療が行き詰まっていた頃、私はこう考えるようになりました。
やれることは、何でもやってみよう。

そうして通い始めたのが、不妊専門の鍼灸院でした。

当時、病院からは、また採卵からのスタートで、「いい卵」に出会えるまで続けるしかないと説明されていました。
でも、その「いい卵」に近づくために、自分には何ができるのか。
卵子の質を上げるために、何をどうしたらいいのか。
そこまでは、病院では教えてもらえませんでした。

鍼灸院では、今の私が暮らしの中で取り組めることを教えていただきました。
生活習慣や食事の見直し。
気をつけていたつもりでしたが、まだ見直せるところがたくさんあって、目から鱗でした。

そして何より嬉しかったのは、毎回、宿題を出してもらえたことです。
家でお灸をする。運動をする。
今の自分にできることが、はっきりと見える。

「頑張れることがある」というのが、こんなにも嬉しいことなのかと思いました。
毎日、時間を作って続けました。
鍼灸院にも、週1回のペースで通いました。

不思議なもので、頑張り方がわからなくなっていた気持ちが、少しずつほぐれていきました。

自分にできることへ目を向けられるようになり、また前を向けるようになっていったのです。

化学流産のあと、一周期、治療を見送ることになりました。

私は3回目の採卵に向けて、次の生理が来るのを待っていました。
けれど、なかなか来ません。
そのうち、

「あれ?」

と思いました。
いつもは高温期が短いのに、今回は長く続いている。

もしかして——。

そう思って、妊娠検査薬を試してみました。
陽性反応でした。

自然妊娠は難しいかもしれない。
そう言われていたので、一応タイミングは取っていたものの、まったく期待していませんでした。

だからこそ、信じられませんでした。
何度も、検査薬を見返しました。

人生、何が起きるかわからない。

心から、そう思いました。

妊娠が分かって、もちろん嬉しかったです。

けれど、それだけではありませんでした。
一度、化学流産を経験しています。

また同じことになったらどうしよう——。

そう思うと、不安で眠れなくなってしまいました。

トイレに行くたびに、出血していないか確認する。
胸の張りや痛みがあるかを確かめて、安心する。
そんな日々でした。

顕微授精のときは、採血でhCGの数値を測って判定していました。
でも今回、産婦人科では、尿検査とエコーによる確認でした。
hCGの数値がどれくらいなのか分からないことも、私には不安でした。

きっと、この子は運の強い子だから大丈夫。

何度もそう自分に言い聞かせながら、一日一日を過ごしました。

そして、ようやく無事に心拍を確認することができました。
その後も不安がなくなったわけではありませんが、妊娠は継続し、無事に出産の日を迎えることができました。

AMHの数値は、あくまでも卵巣予備能を知るための目安です。
数値が低いからといって、妊娠できないということではありません。

私自身、低AMHと言われながら、こうして子どもを授かることができました。

それでも——あのとき低AMHだと知れたことは、私にとって本当に大きなことでした。

もし知らないままだったら、私はきっと「子どもはそのうちできる」と考えていたと思います。
仕事も楽しかったですし、いつか自然に授かるだろうと思っていました。

けれど、数値を知ったことで、自分の中の優先順位がはっきりしました。
だから、本気で妊活に取り組むことができたのです。
知ることができて、本当によかったと思っています。

当時の私が知らなかったことが、もうひとつあります。
子どもは、いつでも産めるわけではないということ。
そして、妊娠しやすさや身体の状態には個人差があり、「若いから大丈夫」とは言い切れないこと。

当時の私は、よく知りませんでした。
このことを、もっともっと知ってもらいたい。

子どもを望む時期も、選ぶ道も、人それぞれです。

それでも、いつか子どもを望んだときに、「もっと早く知っていたら」と悩む方が、少しでも減りますように。

そんな思いで、この記事を書きました。





※この記事は、私個人の体験と、当時医師から受けた説明をもとにまとめたものです。

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この記事を書いた人

アトピー・不妊・乳児湿疹を体質改善で乗り越えた2児ママ、yukiです🕊️
ふわりと、心も体も軽くなるようなヒントをお届けできればと思います。

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